タイパやコスパと真逆の発想
ネガティブ・ケイパビリティという言葉を聞いたことはありますか?
直訳すれば、「負の能力」あるいは「陰性能力」という意味です。意訳すれば、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力(帚木,2017)」とされています。私は「棚あげする力」あるいは「非生産的思考能力」と呼んでいます。この能力は、タイパ(タイムパフォーマンス)やコスパ(コストパフォーマンス)などの効率性や生産性を高める能力とは真逆の発想です。
このネガティブ・ケイパビリティが今、大変注目されているのです。先日近所の本屋に立ち寄ると、ネガティブ・ケイパビリティ関連の図書だけを集めたコーナーができているほどでした。また、人材育成の専門家として活動している私のところにも、セミナーや研修、講演で取りあげて欲しいというリクエストが増えています。一体、なぜこれほどまでに、この能力に関心を持たれるのでしょうか?
人工知能(AI)に勝る能力
我々は、計算力や業務遂行能力などを高めることで、日常生活の様々な問題に対し、的確かつ迅速に対処することを常に求められてきました。教育現場でも、難解な問題を素早く解く力を育成してきたといえるでしょう。しかし、2015年に出された研究発表では、10年~20年後の近い将来において、日本の労働人口の約49%が就いている職業は、今後AIによって代替される可能性があると指摘されました(野村総合研究所,2015)。人間にしか出来ない能力を身につけることが今まで以上に必要とされる時代となりつつあるのです。現代の世の中はVUCAの時代と言われます。環境がめまぐるしく変化し、予測困難で、明確な最適解を導くことは大変難しい状況になってきています。このような、問題が多様化し、複雑化する現代社会においては、問題の本質に迫り、間違いの無い解決策を講じていく必要性が求められます。つまり、あえて、性急に答えを出さない「立ち止まる能力」あるは「物事を一旦棚あげする能力」が求められるのです。
ネガティブ・ケイパビリティは230年前に生まれた概念
ネガティブ・ケイパビリティは、今から約230年前に、25歳の若さでなくなった詩人、ジョン・キーツによって提唱された概念であると言われています。キーツは、短い生涯の中で、シェイクスピアなどの文学に傾倒し、自らも詩をつぎつぎに創作しました。キーツの死後、170年後(今から約60年前)に、精神科医のビオンによって、再び、キーツのネガティブ・ケイパビリティが注目されるようになりました。
日本では、精神科医の帚木蓬生氏によって、「ネガティブ・ケイパビリティー答えの出ない事態に耐える力」が2017年に出版されたのが最初です。
このように、ネガティブ・ケイパビリティの概念自体は、200年以上も前から存在しますが、時を経てこの能力への注目が大きくなってきています。それは、近年コロナ禍や世界情勢の不安なども重なり、予測困難が事象が増えたことも影響しているのではないでしょうか?じっくりと思考を巡らし、本質を見抜く力が必要とされている時代なのかも知れません。
ネガティブ・ケイパビリティを高めるにはどうすれば良いか?
では、このネガティブ・ケイパビリティを職場で高めるには我々はどうすれば良いのでしょうか?
私はセミナーでは、3つの視点を挙げています。ここでは簡単にそのヒントをお伝えします。
(1)心理的安全性の担保・・・まず最初は心理安全性の担保です。心理的安全性とは「罪や屈辱を受けるリスクがなく発言できるという考え方(エイミーC.エドモンドソン,2023)」です。コロナ禍において、リモートワークが常態化し、職場での心理的安全性の担保はさらに高まっていると考えます。
(2)オーセンティック・リーダーシップの発動・・・オーセンティック・リーダーシップつまり、「ありのまま・自分のままのリーダーシップ」を発動させることで、(1)の心理的安全性との相乗効果を高めます。リーダーは、「ミスをしない完璧な人材ではない」ということを浸透させることも重要です。
(3)マインドフルネスの醸成・・・最後は、マインドフルネス「『今、ここで』起こっていることに対して注意を向け、自分が感じている感情、思考を判断せずに冷静に観察している心の状態のこと(茂木,2022)」を日常的に醸成させることです。予期せぬ状況が起こったときに、それを受け入れ楽しむことができる。答えを出したいけど、出せない葛藤やストレス、いわゆる「認知的不協和」の状態を解消させようとするのではなく、両方の状態を認識しておくという考え方において、マインドフルネス的思考は、ネガティブ・ケイパビリティの本質ともいえるのです。
【参考・引用文献】
帚木蓬生,2017「ネガティブ・ケイパビリティー答えの出ない事態に耐える力」,朝日新聞出版
ハーバード・ビジネス・レビュー,2023年4月「働き方の変化が心理的安全性に与える影響、エイミーC.エドモンドソン」
入江章栄,2019,「世界標準の経営理論」,ダイヤモンド社
茂木健一郎(2022)「心が楽になる茂木式マインドフルネス」,扶桑社新書